2010年3月19日金曜日

桃咲く

君待ちぬ停車場の桃咲けり

(きみまちぬ ていしゃばの ももさけり) 季語:桃咲く(春)







昨今、テレビニュースで「無縁社会」などという
寂しいことばが報じられている。

世の中に孤独な人のなんと多いこと・・・、
「絆」を結ぶ機会を失っていることにも心が痛む。


他者とともに生きている、という絆」のぬくもり…。
これがひしひしと感じられると、
人は希望を持つことができると言われている。


孤独感に追い詰められた時、
せめて野花を眺める余裕があれば・・・

「花」はいつも人とともにあり、心を慰めてくれるものに。


先日、俳人の、ある友人から、
写真俳句も始めたと聞かされた。

同好の仲間とつながりあうことで
自分を取り戻した、と明るく微笑んだ。(ホッ…。^^)




2 件のコメント:

  1. Kalen-san、おはよう
    お元気ですか?
    僕もだんだん心が軽くなってきています。いずれ僕も兄のように空へ行くことは間違いがない、
    毎日楽しく元気でありたいのみです。もう金も、名誉もいらないです。
    元気で、明日へエキサイトする気持ちがあればそれでいいです。

    “繋がり”難しい課題ですね、個人個人によって大きく考え方の違いもあると思う。

    ぼくは未だその問題には入っていません。逆に孤独の自由の時間がいいように思います。
    自然、写真、釣りなどの趣味、すなわち僕のような夢遊病者でも自由に生きることができる世界を僕から取ってしまえば、後に残るものは人との繋がりのみの現実の社会に帰ってしまう。
    それだけでは僕には生きることが難しいです。
    親族、友人関係など、など最小限保つべき常識はあるけれども、現在までは、難しいことがたびたびです。自分が希望する、自由がない。

    Kalen-san, この問題について語るには、何日もかかるだろうし、決定的な答えさえもないだろうと思います。僕は何行かでは、自分の思っていることは書けないです。
    そして、適切な日本語も使えなくなってしまっています。
    99%スウェーデン語を使う社会に住んでいます。
    色々とこのような難しい課題について意見が交わせないことが、大変残念です。

    /tomorrow

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  2. Bonsoir!!tomorrow-san,

    >だんだん心が軽くなってきています。

    それは良かったです!「千の風にのって」を筆で書かれたとあり、共感・共振するものがありました。
    私は7年くらいは間欠泉のように感情が吹き出ました・・。この喪の心理的作業は孤独で少し重たいですよね。

    「つながりあう」にシリアスなコメントをありがとうございます。軽々しく論じられるものでもないと思います。

    >個人個人によって大きく考え方の違いもあると思う。

    仰せのとおりです。そして「答え」は見いだせないかもしれません。でも所詮、人間は一人では生きられないし、やはり、面倒で重たくやっかいな「親密な関係」をどう生きるかが私にとっては大切なテーマです。自分の魂が癒されるのはそこのところを生きなければ、と思うのです・・。

    ここまで生きてきて自分の命なのだけれども「誰かのためのいのち」であるとも実感するのです。

    tomorrowさんのようにとても人に思いやりや気遣いをされると心がやはりお疲れになるでしょう。ご自分が孤独でいられるのを望むのは自然のことだと思います。私はいまのところ自由でいられるのでこのような問題について考えたくなるのかも、です。

    春なのにシリアスすぎる話しかも・・。^^
    関東も今月下旬からは待っていた花たちの開花が目白押しです。下手な写真でも撮りに行ってきま~す。^^
    Au plasir /kalen

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